Published: October 01, 2018
9月の頭にAppleの新しいiPhoneが発表された。「いよいよiPhoneというアイコンがサチってきた」という印象をうけてしまった。この10年程度インダストリーはモバイルのトレンドで走ってきたけど、それがあの仰々しい発表会とテカテカ光る宣材写真とともに終わりを告げたのではないか。
では、次のフロンティアが何なのか、あるいはそれがどういうふうに我々に与えられるのか。まず今回はiPhoneについてビジネス上の検討を行った。「モバイルの未来」の検討は(下)ですることにした。対象読者はテック業界、メディア広告業界、企業のデジタル関連担当者、起業家、投資家、今後周辺産業に就職、転職する人などだが、電話をさわっている人にとっては有益な情報なのではないかと考えている。
まずAppleの視点から考えてみよう。新iPhoneのラインナップは、コンサルティングファームが会議室の中でゴチャゴチャ時間潰しをした末にひねり出した価格戦略のたまもののように見える。逆を言えば、シリコンバレーの会社がやることではないみたいだ。彼らが必死こいて引いた価格帯の線を眺めてみようじゃあないか。
比較にはドルを採用した。円ベースにすると、税や国際的なプライシングのバランス(だいたい日本には北米より高い価格が課せられやすい)などを考慮しないといけないし、市場規模としてそこまで大きくないので、ドルでの検討がいいだろう。Appleも最初に米国での価格戦略を決めているはずだ。
iPhone XのラインアップをiPhone XR、XS、XS Maxの三段構えにしたことで、高価格帯にバラエティができている。最低の7から最高のXS Maxまでが、富裕層の住むゲーティッドエリアの中に人工的に作られたなだらかな丘のように美しい。Appleはある程度のマーケティング費用を使い、「新ラインナップだけがこの世に存在している」ように見せかけている。スティーブ・ジョブズがそうだったようにAppleは常に「いままでの商品はクソ、新商品は革命的だ」というハイプをしている。顧客には以下のラインナップを刷り込ませることが目的だ。
後で詳しく話すが、この並びで最低であるXR(64GB)の749ドルがiPhoneのASP(平均販売価格)を724ドル(第三四半期)を上回っているのだ(Bloomberg)。
つまり、このプライシングはコンシューマに現行のASPより高い商品を買うよう誘導しているのだ。今回のアップデートは高価格帯の選択肢を増やして「1000ドル電話」を常態化する意図がむき出しになっている。余りにもグロテスクだ。
オーケー。確かにプライシングは企業活動にとって大事だろう。プライシングの工夫だけで売上利益率を数%引き上げられることがある。ましてやiPhoneのような大ヒット製品だもの。世界でiPhoneを売れるのはAppleしかなく、Appleの1兆ドル超えの時価総額はこのiPhoneの「専売」にかかっている。
行動経済学はサプライサイドが設定するわかりやすいポリシーが必ずしも直接的な結果をもたらすとは限らないことを教えてくれる。経済学がその成立のために構想したEcon(合理的経済人)とは異なり、人間は本質的に購入のメリットを測定するときにいくつかの、周辺的な他の要因によって簡単に気を散らされてしまう。 彼らは多くの場合「メーカー希望小売価格」などの公開されている参照点に依存することに慣れている。その参照点が適正かどうかは別問題だけれど。
人々はまた、同じ製品のために隣人がいくらは払ったかに非常に敏感だったりするし、タイミングやコンテクストはも重要だったりする。 消費者はしばしば気まぐれになることがあり、行動経済学はそれが必ずしも合理的でなくても「自然」であることを教えてくれる。これはお高いスーツに身をくるんだビジネスパーソンにも適用できる。人間はEconではなく動物であることがほとんどなのだ。
人間は最初に聞いた価格に影響を受けやすい。これを「アンカリング効果」という。Daniel KahnemanとAmos Tverskyはノーベル賞受賞の研究で、人が選んだ参照点が価値づけの認知に大きな影響を与えることを実証した。他の関連する情報が意思決定の際に簡単に利用可能である場合でも、選択された基準点にしばしば引きずられることになるそうだ。
つまり、スマートフォンに関してあらゆる情報がネット上にあふれている今でも、消費者はAppleの提示する価格に簡単につられる。Appleは小売に対して厳しいレギュレーションを課しており、Apple希望価格が小売店で崩れることは、一部のささやかな在庫処分を除いてほぼない。だからApple帝国ではプライシングが決定的な意味合いを持つのだ
しつこいけど、もう一度、ラインアップを見てほしい。
消費者は最初に提示されたこの価格の並びに大きな影響を受ける。iPhoneに愛情がある消費者なら「この並びの中からどれかを購入すること」を考える。「このプライシングが奇妙である」と考えることはない。購買に至った人たちには、ほかの商品のスペックと価格などたくさんの情報へのアクセスが容易にもかかわらず、最初に知った参照点に引きずられてしまうのだ。
それから社会的証明という心理状態をうまく活用している。iPhoneは長い間、人々が熱狂して購入する商品でもあった。これは消費者の「社会的証明」の心理をくすぐる。この心理は自分の判断よりも他人の判断を頼りに、その後の行動を決めてしまう心理にあたる。
iPhoneは高級嗜好品のカテゴリに入っているので、高級スーツを着ることで地位の高さをアピールできるのと同じような効果を持つ。iPhoneには実質的便益のほかにこういう「サイドエフェクト」が望めるし、僕の印象だと年配の利用者になればなるほど、そういう価値体系のなかで80年代のインチキ現代思想の呼び名が高い「ポストモダン」みたいな消費をする(「消費のための消費」にような奴だ)。もちろんこれは印象にすぎないけど、iPhoneをこの世代まで購入し続けている消費者は、モバイルゲームをこよなく愛すゲーマーを除けば、ハードウェアの本質的な性能には興味がない人が多数派を占めている。まあコンシューマ製品とはそういうものだ。
じゃあAppleがこういう価格戦略を敷くモチベーションについて、ビジネス的な観点から考えてみよう。
iPhoneはまごうことなきAppleの事業の柱である。直近のQ3 Earning CallでiPhoneの売上構成比は6割超である。iPhoneの販売台数は2015年から頭打ちだが、収益は増え続けており、Q3では収益はウォールストリートの予測を大幅に上回る前年同期比17%増で、利益は前年同期比32%増と極めて調子が良かった。
おおざっぱにいうなら、2015年以降のiPhone収益増加の主要因はASPを上げたことだと、このStatistaの表を見てもらえばわかるだろう。iPhoneのASPは2018年Q1に796ドルが最高値をマークし、Q3でも724ドルと高い水準にある。
ASPの推移はBloombergの図がわかりやすいので張っておこう。
値上げのモチベーションとしてはiPhoneが狙える市場がすでにあまり残されていないことが大きい。全世界のスマホの出荷台数は毎年、前年比の成長率を落とし、2016年がピークであり、2017年には”成長しなかった”のだ。スマホのASPはiPhone登場の年である、400ドルオーバーから2017年には300ドル強へと下がった。出荷台数の拡大と技術革新に伴う製造コストの低下と同時に、スマホ出荷の構成比のなかで新興国がその存在感を増していることがその要因に挙げられる(参考 Kleiner Perkins ”Internet Trends Report 2018”)。
iPhoneはすでに富裕国や富裕層を多数抱える新興国(中国のような国だ)の需要は開拓し尽くしている。今後のスマホのフロンティアであるインドでは、旗色はかなり悪い。100~200ドル程度のスマホが主戦場のマーケットで、1000ドル電話の需要は微々たるものだ。この状況は次の戦場となる南アジア、中東、アフリカなどでも同様とみられる。これらの国はワイアレスネットワークが有線のネットワークよりも先に発達していく可能性があり、将来的には今のスマホが「求められるコンピュータ形態」なのかすら怪しい。
このため、Appleの株価が上昇基調を描き続けるために、いまあるシマからの「徴税」を強化することにしたのだ。では、その徴税具合がどの程度なのかを次はユーザーの視点からiPhoneを眺めてみることにしよう。
さて、アンカリング効果で高額が払われる電話のバリューフォーマネーはどうなのか。結論から言うと、かなり怪しい。ユーザーの視点が必要であり、YouTuberの出番だと考えられる。信頼されるReviewerのDave LeeはiPhone Xからすぐにのり換えるべき電話ではない、XS、XS Maxは有意義なアップデートだったのだろうか…とこきおろしている。
彼はその前から高い電話に割れやすいガラスをコーティングすることやMacBookのファンクションキーをタッチスクリーンにかえてしまうことに苦言を呈していた。
実際、iPhoneはいくらくらいの製造コストなのだろうか。今度は分解屋さんの出番だ。Techinsightsの"Apple iPhone Xs Max Teardown”でDaniel Yang & Stacy Wegnerは完ぺきな仕事をしている(ヌード写真が見たい人はサイトを訪れてほしい)。以下はTechinsightsの抜粋である。ありがとう、Techinsight。
iPhone XS Max の部品価格は約443ドルと推定され、iPhone XS Max 256GBモデルは1249ドルで販売されている。Apple iPhone Xは部品価格は約395ドルと推定され、Apple iPhone X 64GBは999ドルで当時販売されている。もちろん部品の総額以外にも組立の費用や物流、流通、マーケティング費などのコストが乗ることを考慮に入れなくてはいけないが、Appleがかなりのプレミアムを載せているのは誰もが知っていることだし、そのプレミアムは今回がっしり太くなっている。
ティム・クックCEOはもともと製品、部品調達、サプライチェーンを担当しており、サプライヤーからはトヨタもびっくりの「乾いたぞうきんを絞る」厳しい態度で知られていて、今回もサプライヤーをひいひい言わしているのは想像に難くないが、サプライヤーを泣かせた分がユーザーに返ってくるわけでもなさそうだ。
それでもマシンとしての性能が高まっていれば顧客に新しい価値を提供していると言えるかもしれない。今回のシステムオンチップ、A12 Bionicについてはこういう売り文句がついている。「iPhone XのA11 Bionicに比べて、A12 Bionicは消費電力が40%効率的であり、GPUのパワーは50%パワフルである」−−。
CPU: Six cores GPU: Four cores Neural engine: Eight cores Fabrication node: 7nm
Appleは微細化に成功し”世界初”の7nm(ナノメータ)プロセスを採用している。トランジスタ数は60%増の69億に達しており、微細化の恩恵で増えたトランジスタを機械学習専用のNeural Engineに振り向けている。この機械学習のケイパビリティが今後の鍵になりそうだ。
チップの微細化のルールはすでに「ムーアの法則の終わり」と考えて良い状況であり、微細化が処理速度や消費電力、コストを低下させる状況はすでに終わっており、近年はコスト高を容認しながら微細化を進め、コア数を増やしたり、制御方法を工夫したりなどの最適化で凌いでいる状況だ。7nmプロセスを製造できるファウンドリは2,3社に限られており、ファブラインを整えるのに10億ドルを超えると言われる設備投資が必要になっている。微細化を成功させるための技術開発自体がとても困難であり、次世代の投入までの時間は引き伸ばされてきている。同時にチップは投資を回収する商業的成功を必ずしも保証されているわけではないので、ファウンドリが負担するリスクが高まっている。
微細化がコスト効率を悪化させているという経済的な制約と、チップの微細化に限度があるという物理的な制約が生まれている。ジョン・ヘネシーやデイビッド・パターソンが「コンピュータアーキテクトになるのに最適な時期」と話している。現代をコンピュータアーキテクチャのカンブリア紀とするレトリックも多数見られる。地球が界面に覆われ、生物が爆発的に多様化した時期であり、ノイマン型の汎用なコンピュータの設計ではなく、その目的に応じたアーキテクチャが設計されるようになる時期であるということだ。
話を戻すと、汎用な目的のための処理能力には限界が見え始めているので、iPhoneが世代を変えるたびに、コンピュータ性能を一定のテンポで上昇させていくことは難しいが、画像処理用のGPU、機械学習のNeural Engineなどどの特定の用途に特化したチップを載せていけば、コンシューマに新しい価値を提供できる可能性はある。
ただし、このハードウェアとしての限界への次の一手は、ハードウェアだけで解決する必要がない。ネットワークが早くなれば、どうしても端末で行うべき処理は減っていく可能性がある。また特化型の半導体を積んだコンピュータとクラウドが、スマートフォンという形態以外でのコンピューティングの可能性を開いていく可能性もある。これは次の記事で検討しようと思う。
ということで、2007年に生まれ人々を熱狂させてきたiPhoneが、その使命を全うしたと考えられる。月並みな言い方をすればiPhoneにはかつての「世界を変える」という驚きがなくなり、若者向けのベンツ、BMWというふうな「嗜好品」のポジションが確立したと思う。
ティム・クックはもともと「乾いた雑巾を絞る」傾向があるが、最近はすべて絞り尽くして、ついにiPhoneというプロダクト価値自体を絞り始めた、とも受け取れる。たくさんの水分がでてきてAppleは潤うが、次の雑巾はもうない。Appleの時価総額は1兆ドルを超えたが近年の革新的な製品は「Apple Watch」くらいしかない。自社株買いの費用が研究開発費を上回っているし、先端領域の機械学習、AR/VRではなんとかキャッチアップを図ろうとしているが、後手後手だ。顧客が満足するハードウェアを作る能力は相変わらずピカ一だけど、それが「コンピュータネットワークの中でどういう価値提供ができるか?」「そこで生まれる重要なトレンドに通暁していて、新しい価値を創出できるか」などの問いがたてられると、もう挑戦者ではない。
Appleにとっては、今ある資産があまりにも大きすぎる。スティーブ・ジョブスが復帰したときには経営破綻すれすれまで落ち込んでいたカイシャが、いまは前代未聞の2437億ドルのキャッシュを貯め込んでいるのだ。「今の株高を維持するには、iPhone中毒者の一人一人から高い金を徴収するしかない」−−。繰り返しになるが、今回のiPhoneのラインナップを見ると、こういうモチベーションから製品開発が始まっていると邪推したくなる。もしそうだとしたら相当マズい。顧客の便益ではなくカイシャの論理で製品開発が進むのは、輝きを失った大企業特有の出来事だからだ。
iPhone and Apple park images via Apple News Room