Published: October 24, 2018
テクノロジーが創出する新しい経済のことをぼくたちは「テックエコノミー」と呼びます。axionはこのテックエコノミーをめぐる予測と検討をするコミュニティです。これをネットワーク接続によりコンピューティングのちからに誰もがアクセス可能になったことに着目してConnected Economy(接続経済)と呼ぶこともできるでしょう。テックエコノミーはこれまでの経済原則を大きく裏切り、オールドエコノミーの制約が取り除かれ、固定概念から解放された新しいエコシステムを模索しています。そこではいままでばらばらに動いていたものたちがネットワークのひとつとなることで、コンピューティングパワーの活用可能性を獲得するのです。
これは人間を力強くエンパワーします。知識と技術へのアクセス可能性が飛躍的に向上しますし、その獲得と活用のコストが格段に低くなることで、ぼくたちはあらゆるものごとに新しいアプローチをする機会を得るのです。
20世紀までに人間が信じていたことの多くが再考を求められるでしょう。人間は一本道しか知りません。もしかしたらもっと異なる知識の生み出し方があり、その活用方法があるかもしれません。
経済もまたあるべき姿を変えるでしょう。資本主義がいつまで続くのかわかりませんが、その終わりは日に日に近づいています。私的所有権は現代でもすでに一部は放棄されていますが、将来的にはより柔軟な使われ方がされるはずであり、もしかしたらなくなっているかもしれません。あらゆる製造物の生産コストは機械の力で下がっていくでしょう。「価値」とは人間の生み出した幻想にすぎませんが、その宗教は新しい経済の形をどう評価するのでしょうか。
産業革命以降、ぼくたちは生きる意義が労働にあるとぼくたちを洗脳しましたが、それはもう終わろうとしています。私たちは自分たちで動かす機械を作り続けてきましたが、今後は自律的に物事を実現する機械とともに生きていくことになります。
支配し所有している、という考え方から離れる必要があるかもしれません。「所有」という観念は次の経済社会では大いなる邪魔であり、限られた状況においてのみ容認されるものなのです。
われわれはその時々にできうる最高の方法で経済を理解し、それを理想的な姿に構築しようとしてきました。先端技術が経済を圧倒的な速度で変化させていった先にはどんな世界が待っているのでしょうか?わくわくしてきませんか。あなたはそこに向かって進化していくのです。
by Kevin Dooley
コンピューティングの進化があらゆる領域に大きな進歩の機会を与えています。社会の準備が余りにもできていません。20世紀の線形の時代が終わり、ぼくたちは非線形のぐにゃぐにゃした世界にいます。多領域をまたがる技術の進化はハイパーコネクテッドでありもたらされる結果は予測不可能なのです。
機械学習プログラムが囲碁で人間に勝つという事象が、いつの間にかその応用範囲が医療や宇宙開発、核融合発電、遺伝子工学、製造業ロボット、農業、天気予報、宇宙開発へと伝播していく、そういう時代をぼくたちは生きているのです。
Appleが先達の教訓を活かして生み出したインターネットと電話の融合は、富裕国だけでなくDeveloping Countriesの人たちがコンピュータを使うこと、常時ネットワークに接続されていることを当たり前にしました。
このような変化がこれからもっと高い頻度で広範な範囲に渡り起こるはずです。変化の度合いをどう捉えるかは群衆の主観に依存するだろうが、CPUの性能上昇が描く単調な曲線とは異なる曲線、あるいは正規分布から飛び出した予測不能の点が、ぼくたちの認知がうまく反応できない形で、大きな変化を継続的にもたらすと考えられます。
だけど、社会と人間はあまりに準備ができていません。アメリカではクレイジーな大統領が暴れ、欧州では極右政党が台頭しています。日本でも制御の効かないナショナリズムや反知性主義が人々の間に浸透しました。そんな世界がこんな圧倒的な変化をうまく活かすことができるでしょうか。社会と技術の間のギャップを解消しないと人類をあらゆる制約から解放する潜在性が、ポピュリズムのなかにおぼれてしまいます。この余りにも愚かしき人類をどうすればいいのでしょうか?
とてつもない教育効率を誇る情報を人に与え、誤った固定観念からより純粋な知識群の世界への移行を促し、人間の社会を数段高いレベルに引き上げる道具があればどうでしょうか?。axion.zoneはその道具として生まれたものなのです。次の人類へと進化するための術を一緒に築いていきましょう。
Via "2001 space odyssey"
人類の進化にはいくつかのオプションがあります。ひとつは機械による能力の拡張です。Machine Intelligence(機械知性)は人間を模倣するものではなく、敵対するものでもありません。機械知性はぼくたちの能力を拡張し、社会つまり集合知性を高度化するものです。これはいわゆるExtended Intelligence(拡張知性)です。
機械知性はぼくたちが問題を解決することを簡単にしてくれます。 特定の分野では包括的にぼくたちの仕事を代行し、またある分野では部分的に我々の仕事をサポートしてくれます。この世界に無数に存在する課題に対して特化された機械知能が開発の中心ですが、様々な要求に応える汎用のアルゴリズムの開発が最終的な目標として企図されています。
人間は強靭なネットワークに包まれ、自律的に動くロボットととも暮らすようになります。ロボットは様々な仕事を済ませてくれますし、自動運転車のように運転を代行し、その間の時間人間はもっと生産的なことに取り組むことを許容します。ここでも多様な要求応える汎用なロボットの開発が大きな目標とされているのです。
次は生物学的な人間の改良です。遺伝子工学は私達の生物学的あり方を改変しうる巨大な可能性を発見しました。ゲノム編集です。大いなる可能性とともに、大きな倫理的な課題を内包しています。遺伝子技術は子どもの作り方を変えていますし、どんな子どもを持つかをも変えています。
もう一つは宇宙へとその活動を拡大していくことです。今世紀中には火星に住む冒険家のグループが存在することになるでしょう。開拓者たちはサイボーグ技術とバイオテクノロジーを使って「異国」の環境に適応するかもしれません。
気候変動、小惑星の衝突の危険性、感染病、人口増加のために地球は人類にととって危険な場所になりえます。テクノロジーの進化によって、環境を良くすることも破壊することも容易になりました。ぼくたちが広く採用する経済モデル−資本主義−は環境を破壊することを促しうるメカニズムです。別の惑星への移民を行わない場合、人類滅亡を迫られるシナリオも存在するでしょう。
民間企業によるロケットの発射とその回収が可能になり、宇宙探索のコストは下がり地球上で経済的合理性を獲得しつつあります。これでも人間が探索可能な範囲は宇宙のほんの一欠片に満たないのですが、ささやかな可能性があるだけでも満足しましょう。将来にはおそらくほかの太陽系を探索がその範囲に加えられるはずです。
宇宙の始まりはビッグバンが起きた時だとされていますが、ビッグバンの前に存在するものは何かあったのでしょうか。もしそこに何もなかったとしたなら、どのようにして宇宙は生まれたのでしょうか。
この宇宙に私達の他にも高度文明は存在しているのか? 地球上の生物は、化学反応によって自然に生まれたと言われます。そうであれば、他の星でも同じことが起きていても不思議ではありません。生物の起源を巡る探索は地球外への拡張によって加速されます。エイリアンの存在有無とは人類の未来を巡る問いなのです。
by ogunhe
アクシオン(axion)は存在が予言されながら未発見の素粒子で、わずかに質量をもつと考えられ、ダークマター(暗黒物質)の候補です。宇宙の構造形成をひきおこす重力の源となる物質のほとんどは、我々がよく知っている物質を構成する水素や酸素、炭素といった通常の元素ではありません。暗黒物質の存在は、特殊な観測や理論から導かれたのではなく、様々な観測結果から共通に示唆されています。通常の物質は宇宙全体の約5パーセントにすぎません。その5~6倍は暗黒物質が占めていると考えられます。残りはダークエネルギーと呼ばれている正体不明のものです。
数ある暗黒物質には「得られている観測結果を説明するためになければならない」とされており、粒子の速度分散の度合いで「熱い暗黒物質」と「冷たい暗黒物質」に分けられるが、宇宙の大規模構造の形成をシミュレーションした結果、冷たい暗黒物質が有望だと考えられています。axionは、ニュートラリーノなどと並ぶ、冷たい暗黒物質のうちのひとつです。
ぼくたちが未来に対してアプローチすることは、ダークマターを探求することに似ています。人間はほとんどのことをまだ知らないが、やがて知り、そしてまた知らないことにぶつかります。axionのようなものを仮定し「探求する」ことこそ我々の姿勢であり、情報の価値についての基本的な考え方です。私たちは簡単にその思考を退屈な枠組みの中に導いてしまいます。飛躍的な視座を取ることは、たくさんの人々が嘲笑を浴びせるのに値することではありません。枠組みの外にあることであなたは常に柔軟であり、新しいものを生み出す準備ができるのです。
人間が信じてきた偏見は覆されて続けています。人々はソーシャルメディアに投稿されたフェイクですらその真贋を判断することができません。群衆的な心理に影響されてはいけません。自由に発想し世界のベールを剥がしていくのです。ぼくたちに必要なのは想像力ですが、その想像力は恐るべき拘束力をまとわされたものです。ぼくたちは常に、知らされているすべてのことと合致するが、その予測とはどこかで食い違う、世界の新しい見方を見つけなけれなりません。そうaxionのようなものを探求しましょう。
By Wikimediacommons
Smartnodeとはヒトとヒト(Human to human)の情報流通を著しく向上し、人間の知性と意思決定の質を上げるプロジェクトです。従来型マスメディアによる中央集中型の情報散布である「ブロードキャスト」から、点と点をすべて結んでいくつながりへと移行する世界で、つながりのなかにある地点に、ロバストな結節点(node)をつくりより高質なヒトとヒトの情報の流通を構築することを目的とします。
情報の散布は「メディア(媒介)」という曖昧な言葉で定義され、この言葉をめぐり、根拠のないかなりポエティックな議論が長期間に渡りされてきたことは否定できません。より現代的なアプローチを採用し、意思決定理論や行動心理学、行動経済学などを適用し、同時に計量的な分析を心がけることで、ぼくたちはメディア消費をもっと確からしい言葉で説明することができるようになります。
富裕国ではインターネット接続(Connectivity)がユビキタスになっており、今後の5Gの採用でさらなる進歩を望めます。加えてスマートフォンの浸透で、ヒトとヒトのコミュニケーションは多様化しています。
ヒトとヒトの情報流通もまた大規模システムを乗せるコンピュータクラスタと同じように「分散処理」を求めています。ブロードキャスト型の情報流通は、情報の質が発信元の能力や倫理観に深く依存します。情報をアービトラージして受け取る側に対して優位に立とうという好ましくないインセンティブが生まれがちです。そしてこれはプロパガンダ装置としての「メディア」の歴史でもあるのです。情報の生成とその利用を分散的に行うことで、このリスクは回避することができます。
ぼくたちは個への情報を高度化することで、その個の集合体である「社会」を効果的に高度化できると想定します。テクノロジーとその社会実装の速度に対して、ヒトの思考がついてこない現実があります。このボトルネックの改善によってぼくたちはぼくたちを苦しめる数々の制約から解放されるのではないか。
このプロジェクトのなりたちは、ぼくは中学生のときから新聞をスクラップしていたことから始まります。高校生のときには学校の図書館にある新聞を毎日数紙読んでいました。新聞には子どもにとって多量の情報量があり政治経済社会の知識を前提としており素晴らしい学習の手段だったでしょう。しかし、長期的に新聞と付き合い、新聞社でのインターンと就労を経験し、さまざまな分野における知識が深くなっていくに連れて、そのあり方に疑問がわきました。
一部のクラスタの人々にとっての都合が、新聞を通じてその他の人々に一方的に押し付けられているのではないか、合理的な思考が十分ではなく感情的にさまざまな問題に対処しているのではないか、情報流通を独占していた経緯から情報をマニピュレートすることに恥ずかしさを感じない傲慢さを身にまとっているのではないか。
世界はものすごい勢いで変わっていますが、ヒトとヒトの情報流通は有意義な変化をしていないようにも思われます。フェイクニュース問題で明らかな通り高度化したコミュニケーション手段のせいで、そのまずい部分の効果がグロテスクになってしまった面もあります。いまこそスマートなノードをつくり人々に自由と幸福追求の最大化をもたらすときです。
ぼくたちのビジョンは「人間を自由にし、人間の幸福追求を最大化する」ことです。
自由は他の大事なものとトレードオフにしないと手に入らないものだったが、いまや制約とパッケージングされていない自由を人々に提供できる時代に到達した、とぼくは考えています。トレードオフは自由と制約の間で起きてきました。ぼくたちは制約に可能性を限定されています。ぼくたちはさまざまなフレームを作り”人間社会”を運営してきましたが、それは人間に自由をもたらしたと同時に制約を課しています。制約をなくせる手段があれば、それがコストに見合う限りは絶対に実行するべきです。
例えば、一貫した思考フレームを採用することは有益な解法を渡してくれることがありますが、同時に制約でもあります。産業革命以降、ぼくたちは生きる意義が労働にあると自らを洗脳しました。しかし、機械の力を活用することで労働のコストを圧縮することが可能になってきましたし、ときにはそのコストをまるまる無くしてしまうこともできます。そう、ぼくたちはいつの間にかコストを「生きる意義」と考えるようになったのです。これは恐ろしいことでしょう。従来型の思考フレームは必要なくなり、これを活用することはときに問題を引き起こします。
変化をうまく活かすためには、固定的な思考フレームを持たず、柔軟であることが重要です。ときには作り上げた思考フレームを捨ててスクラッチから新しいフレームを作ることが必要なのです。
ぼくのバックグラウンドがこのビジョンに影響を与えています。インドネシアにいた5年間、自由とはそう簡単に手に入らないものだと痛感しました。低所得者層に生まれれば奇跡が起きない限り高等教育の機会がなく一生の仕事が一定の範囲内に限定されます。さまざまなライフイベントに関しても選択肢は存在しなくなります。それでも制約を受け入れてたくましく生きる人たちはなぜか、日本人のぼくよりも全然幸せそうにしていましたが。
5年ぶりに日本に帰った後は自分には日本的な常識がなじみませんでした。満員電車やオフィス街で組織や権威に支配されて自由を失った日本人の群れを客観的に見ることができました。「なぜ自らすすんで不幸になろうとしているのだろう」と考えてしまうのです。SF小説に出てくる、超知能に完全に支配されている人間のようでした。
秩序のために個人の自由を引き換えにするというのは20世紀の考え方であり、日本はずっと20世紀のままだとぼくは確信しました。あらゆる領域において国家や権威的な組織の支配が厳しいのです。思考することを禁止する教育を受けた人々は、自分たちに押し付けられた苦役に疑問を持つことがないようで不気味に映ります。
しかし、ぼくたちは技術が人間を制約から解放する時代を生きています。21世紀の人間はさまざまな制約から解放されなければいけません。”技術と社会にあいたギャップを克服するもの全般をつくり、人間を制約から解放し幸福追求を助ける”。これがぼくが作る会社の普遍的な価値観です。
ぼくは人間の知識開発を改良し、個人の意思決定を改善することで、人間集合の発展を目指して活動しています。このaxionでは、人間を基礎的な制約から解放するため、経済の高度化を企図し、それに関わる経済人の知性強化によってそれを実現しようと目論みます。
ぼくはインドネシアでの政治経済ジャーナリスト、アナリストからキャリアをスタートし、従来型メディアの限界を実感し、現代、それから未来に適合した知識獲得方法を模索するようになりました。日本に帰国後は米系デジタルマーケティングメディアの日本ブランチ開発参画し、2年間ビジネス開発、コンテンツ製作とそのサプライチェーン構築、そしてデジタルマーケティングそのものに携わりました。インターネット、広告、メディア業界のバックグラウンドに明るいです。ぼくはコンテンツ製作とビジネス開発、戦略などのビジネスサイドに通暁しています。エンジニアリングとコーポレート、ファイナンスのピースを探しています。
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ぼくの経歴はこちら。 taxiyoshida.net LinkedIn
ぼくは人間の知識開発を改良し、個人の意思決定を改善することで、人間集合の発展を目指して活動しています。このaxionでは、人間を基礎的な制約から解放するため、経済の高度化を企図し、それに関わる経済人の知性強化によってそれを実現しようと目論みます。axionは最初の一歩であり、他領域へのプロジェクトの拡張をしたいと考えています。
Eyecatch image by Simon Cockell